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Oi! こちらパリンチンス 第二回

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ビアンカです。

ボア・タールジ!日本のみなさん、お元気ですか。

こちらパリンチンスは、長い乾季でアマゾン川の水位が10mも下がり、
川底だったところに道ができたりして、景色がすっかり変ってしまいました。
でも、あとひと月もすれば雨季がやってきて、
今度は洪水の心配をしなければならないそうです。

9月
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10月
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パリンチンスは島なので、人や物はすべて船が運んでくれます。
ここでの生活はすべてアマゾン川と共にあるといえるかもしれません。
さて、今回はパリンチンスの小学校をみなさんに紹介しますね!

◆タダシ・イノマタ学園

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ここは、わたしが毎週金曜日に訪れている小学校です。
ブラジルなのにどうして日本人の名前がついているのでしょう。
それは、この学校が3年前に日本が資金を協力して建てた学校だからです。
それまで学校に通うことができなかった地域の子どもたちが、
今では毎日仲良くこの学校でポルトガル語の読み書きを勉強しています。

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学校の名前になっている猪股正(いのまたただし)さんは、
1934年に家族と一緒にブラジルにやってきた日本人で、
パリンチンスで暮らしながら日本人とブラジル人をつなぐために活躍した人です。
亡くなって12年になりますが、
子どもたちは先生から猪股さんのことを教えてもらっていてよく知っています。
そして自分たちの学校をとても大切に思っています。

ひとクラスは15人~20人くらいで、
低学年、中学年、高学年の教室が1つずつしかありません。
午前に通ってくる子は朝7時から11時まで、
午後の子は昼の1時から4時までの3時間だけの学校です。
授業の最後に軽い給食を食べて帰ります。
日本のみんなにとっては、学校が早く終わるのがうらやましいかもしれませんね。

ここに通ってくる子どもたちは自分の教科書を持っていません。
学校にあるテキストを借りて勉強したり、
版画を刷るような機械で先生が1枚1枚つくるプリントをやったりしながら、
言葉や計算を覚えていきます。 

鉛筆や消しゴムは自分で持って来ますが、
たくさんは持っていないので、使えないほど小さくなるまで大切につかっています。

そして、男の子も女の子も上級生も下級生もみんなとっても仲良し!
イジメなんて全くありません。
イタズラ好きなのでケンカはよくしますが、
すぐにケロッと忘れてまた仲良く遊びます。
困っている子がいたら助けるのがあたりまえ。
先生のお手伝いをするのも、みんなで取り合いになるほど大好きです。

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わたしは、先生方から少し時間をもらって、
日本語の簡単なあいさつや折り紙を教えています。
日本語がもともと分かる子はひとりもいない学校なのに、
今ではみんなが「オハヨー」「サヨナラー」と声をかけてくれるようになりました。

ブラジルの学校にも、日本の学校と同じように行事がたくさんあります。
特にここパリンチンスは「ボイブンバ」と呼ばれるアマゾンのお祭りで有名な街なので、
小学校のお祭りでも、子どもたちが大人顔負けのあざやかな衣装を身につけて、
激しいリズムで元気に踊っています。

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この学校に通ってくる子どもたちの中に、
携帯やテレビゲームを持っている子はひとりもいません。
それでも、みんなで裸足でサッカーをしたり、
凧をあげて遊んだりと、
毎日元気いっぱい・笑顔いっぱいでとても楽しそうです。

わたしはこの子どもたちに会うたびに、元気をたくさんもらっています。

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by amazontoshimin | 2010-11-19 09:54 | Oi! こちらパリンチンス

◆アマゾンの生き字引<Enciclopedia da Amazonas>

こんにちは。としみんです。

マナウスで生活して3カ月が過ぎました。
毎日、素敵な皆さんに囲まれて刺激的な生活を送ることができています。
今日みなさんにご紹介する川田敏之さんもとても魅力的なマナウスの住人です。
何度も自宅へ招いていただき、手料理をご馳走になっています。
アマゾンの大魚「タンバキー」や日本の伝統料理「なめろう」、
地元のお酒「ピンガ」にガラナを入れた「ガラピン」など
川田さんのつくるものは美味しいものばかりです。

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原子爆弾被爆の体験もある川田さんは,
1959年に長崎から家族でアクレ州リオブランコに入植しました。
電気も水道もないアマゾンの奥地で暑さや病気と闘いながら行きぬいてきました。
野菜を育て、牧場を作り、
その後1973年にマナウスに移ってからは野菜や果物の卸業を始めました。

現在80歳の川田さんは、
今も「アマゾンの生き字引」としてみんなの頼もしい相談役です。
文才にも恵まれている川田さんは様々な形でエッセイなどを残しています。
JICAの先輩ボランティアである高橋さん(2004年1月から2年間活動)がまとめた
『片道切符~奥アマゾン』も作品のひとつです。
そこにはアマゾンでの興味深いエピソードが満載です。
今日は、以前ある新聞に掲載されたものを一部抜粋して紹介します。

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森は子どもたちの遊び場でもありました。
ある日、森の小道に丸太が倒れていました。
子どもたちは、ぴょんと跳び越えたのですが、
ペットの子豚は毛を逆立て、近づこうとしません。
そのうち丸太がズズーと動きました。
なんと、それはニシキヘビだったのです。

森へ木の実を拾いに行った子どもたちを
川田さんがしかる話もあります。
「親に黙って行っては駄目」と。
でも長女は書き置きをしていました。
ミミズがはったような字だったので、
大人たちは気付かなかったのです。

「子どもの教育を忘れていた」。

ジャングルの中での過酷な生活の中、夕食後に勉強を教え、
入植地(ジャングルを切り開いて畑などを作って住みついたところ)に
先生を招いて小さな学校も作りました。(新聞より一部抜粋)

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アマゾンでの毎日が生き生きとした文章で書かれているこの作品を、
機会があったらみなさんにも読んでいただきたいです。

今もなお、運動会の景品の準備や、盆踊り大会の会場作りなど
積極的に動き回る川田さん。
子どもたちが喜ぶ顔、みんなが喜ぶ顔を見るのが好きなんですね。
本当にパワフルな80歳です。同じ午年生まれとして負けてられません。

アマゾンにはこんな素敵なひとたちが大勢います。


Oi. Eu sou Toshimin.

Já faz tres mêses desde que eu chegei em Manaus. Todos os dias eu posso da vida estimulante com pessoas maravilhosas. Hoje eu quero mostrar um homem atraente quem é o habitantes da Amazonas. Nome dele é Toshiyuki Kawada. Por este tres mêses eu conheci ele e comi algumas comidas que ele fez. Por ex: Tambaqui-peixe grande de Amazonas, Namerou-comida tradicional do Japão, e Garapin-pinga com guaraná, todos que Kawada san fez é muito delicioso.
Kawada san passo experiência na epoca de bomba átomica. Depois ele foi para Rio Branco,Acre com a familia dele de Nagasaki em 1959. Eles tinham vivido lutando com tempo quente e algums doentes no fundo da Amazonia sem eletricidade sem canalizaçao. Ele plantou verduras e fez pasto, depois mudou se para Manaus em 1973 começou trabalhar de revenda de venduras e frutas.
Agora ele tem 80 anos e parece enciclopedia da Amazonas. Muitas pessoas consultam algumas coisas para ele. Ele tem talento para escrever novelas também. Sra.Takahashi-voluntário da JICA,desde Jan 2004 ate Jan 2006- fez uma livro sobre Kawada san. Nome do livro é Katamichi kippu –bilhete de ida. Tem muitas episódios interesante na Amazons. Hoje eu vou mostrar uma parte do livro dela antigamente mostrado no jornal do japão.
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Floresta era lugar para brincar pelas crianças. Um dia tora grande estava caido no trilho da floresta. E as crianças pularam. Mas o porquinho não se aproximou. Logo tora começei mover. Pois não era uma tora e sim era uma jibóia! No outro episódio, Kawada san repreendeu as crianças que procuram frutas na árvore da floreata. Ela disse – Não pode ir sem avisar os pais.Mas filha dele deixou o recado aí. Ele não pude ler por que letra dela estava muito ruin. Todos os adultos não puderam reparar. NOS ESQUECEMOS EDUCACÂO DAS CRIANÇAS! Durante a vida difícil e ocupado, ele começou ensinar letras e algumas coisas. E fizeram escolas pequenas na colonia.
Se voces tiveram chance,eu quero que voces leem livro dele com frases vivido sobre vida da Amazonas.
Atualmente ele é muito positivo. Um dia ele preparou os prêmios da gincana esportiva, e no outra dia ele preparou os enfeites do bon-odori. Ele gosta de ver sorriso das crianças, tudo sorrindo.
Ele é pessoa de força muito enesia. Não parece que tem 80 anos! No Amazonas tem muitas pessoas maravilhosas e acolhedoras como ele.
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by amazontoshimin | 2010-11-04 02:31 | アマゾンのおはなし